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レ・ミゼラブル — 一切れのパンと人間の尊厳

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はじめに — 一切れのパンの重さ

ある男が一切れのパンを盗みました。

その代償として、彼は19年を獄中で過ごしました。

最初の刑期は5年でした。

しかし、何度かの脱獄の試みがそれをそこまで引き延ばしたのです。

この男の名はジャン・ヴァルジャンといいます。

ヴィクトル・ユゴーの小説レ・ミゼラブルは、まさにここから始まります。

飢えた姉の子どもたちを養うために窓ガラスを割り、パンをつかんだ一人の人間がいます。

そして、彼を生涯にわたって追い続ける法の論理があります。

この小説は、一人の男の罪と罰についての物語ではありません。

それは、貧困がいかに人間を獣に変えるか、そしてたった一度の慈悲がいかに人間を再び人に戻すかについての物語です。

この文章では、レ・ミゼラブルをいくつかの角度から見ていきたいと思います。

まず、作家ヴィクトル・ユゴーと19世紀フランスの風景を描き出します。

続いて、ジャン・ヴァルジャンの中心的な物語と、ジャベール警部が象徴する法と慈悲の衝突を扱います。

ファンティーヌとコゼットを通して、貧しい女性と子どもたちの苦しみを取り上げます。

そして、しばしば誤解される1832年の六月暴動という歴史的な出来事を正しく説明します。

最後に、ユゴーの有名な脱線、ミュージカルを通したこの物語の世界的な広がり、そして今日とても長い社会小説をどう読むかについて話します。

1. ヴィクトル・ユゴーと19世紀フランス

レ・ミゼラブルを理解するには、まずそれを書いた人物を知らなければなりません。

ヴィクトル・ユゴーは1802年に生まれ、1885年にこの世を去りました。

彼はフランス・ロマン主義文学の巨大な頂でした。

詩人であり小説家であり、劇作家であり政治家でもありました。

彼の生涯は、フランス史の激動の時代とほぼ完全に重なっています。

時代精神としてのロマン主義

19世紀初頭のヨーロッパは、ロマン主義の波に包まれていました。

ロマン主義は、先立つ時代の冷たい理性と規則への反発でした。

その代わりに、感情、想像力、個人の自由、そして自然を讃えました。

ユゴーはこの流れの中心にいました。

彼は、文学が美だけでなく、正義と人間愛をも担うべきだと信じていました。

レ・ミゼラブルは、その信念が最も大きく具現化された作品です。

亡命と政治

ユゴーの生涯から政治を外すことはできません。

彼は当初、王政を支持していましたが、次第に共和主義と民主主義へと傾いていきました。

1851年、ルイ・ナポレオンがクーデターで権力を掌握しました。

ユゴーはこれに真正面から立ち向かいました。

その結果、彼はフランスを去り、長い亡命生活を送ることになります。

彼はイギリス海峡のガーンジー島などで、およそ20年を過ごしました。

レ・ミゼラブルのかなりの部分は、まさにこの亡命の地で書かれました。

権力から追われ、祖国を見つめるユゴーのまなざしが、小説の随所ににじんでいます。

彼は貧しい人々、見捨てられた人々の側に立つことを選びました。

レ・ミゼラブルという題名そのものが、「みじめな人々」あるいは「見捨てられた人々」を意味します。

2. ジャン・ヴァルジャン — 盗んだパンと司教の慈悲

この小説の中心には、ジャン・ヴァルジャンという人物が立っています。

彼は貧しい木こりでした。

仕事のなかった冬、彼は飢えた姉の子どもたちのために一切れのパンを盗みました。

この小さな行いが、彼の人生を根こそぎ変えてしまいます。

19年の獄中生活の末に、彼は世の中へと出ていきます。

しかし、彼を待っていたのは自由ではありませんでした。

前科者という烙印が彼につきまといました。

宿は彼を受け入れず、人々は彼を犬のように扱いました。

司教の銀の燭台

絶望に陥ったヴァルジャンに、一人の人物が扉を開きます。

ディーニュの司教ミリエルです。

司教はこの見知らぬ前科者に、温かい食事と寝床を差し出しました。

しかしヴァルジャンは、その夜、司教の銀食器を盗んで逃げ去ります。

まもなく憲兵に捕らえられ、再び司教の前に引き立てられます。

ここで、小説全体を揺るがす場面が繰り広げられます。

司教はヴァルジャンを告発する代わりに、こう言います。

銀食器は自分が贈ったものであり、なぜ燭台まで持っていくのを忘れたのか、と。

そしてヴァルジャンを解き放ちながら、低くささやきます。

この銀で正直な人間になると約束したのではなかったか、と。

慈悲が人を変える

この瞬間は、小説全体の種です。

19年の刑罰が、ヴァルジャンを獣にしました。

しかし、たった一度の無条件の慈悲が、彼を再び人間に戻します。

ヴァルジャンはマドレーヌという名で新しい人生を始めます。

成功した実業家となり、のちには市長になります。

彼は、自分が受けた慈悲を他の人々に返しながら生きていきます。

ユゴーはここで一つの問いを投げかけます。

人間を変えるのは処罰か、それとも慈悲か。

3. ジャベール警部 — 法と慈悲の衝突

ジャン・ヴァルジャンの反対側には、ジャベール警部が立っています。

ジャベールは、この小説で最も複雑な人物の一人です。

彼は監獄の中で生まれた人間です。

まさにその生まれゆえに、彼は法と秩序にほとんど宗教的にすがりつきます。

彼にとって法は絶対であり、例外というものはありません。

罪を犯した者は、永遠に罪人なのです。

曲がることを知らない正義

ジャベールは腐敗した人物ではありません。

むしろ、行き過ぎるほどに正直で勤勉です。

問題は、彼の正義が少しも曲がることを知らないところにあります。

彼はジャン・ヴァルジャンを、数十年にわたって執拗に追い続けます。

ヴァルジャンがどれほど善い行いをしても、ジャベールにとって彼は依然として脱獄した前科者にすぎません。

崩れゆく世界観

小説の後半で、劇的な逆転が起こります。

バリケードで、ヴァルジャンは自分を殺すこともできたジャベールを助けます。

この慈悲は、ジャベールの世界を根底から揺さぶります。

法の論理では、到底理解できない行いだからです。

罪人が自分に慈悲を施したという事実が、彼の信念を崩壊させます。

法が正しいのなら、ヴァルジャンは悪人でなければなりません。

しかし、ヴァルジャンは善良でした。

この矛盾に、ジャベールは耐えられません。

彼は結局、セーヌ川に身を投げます。

ジャベールの悲劇は、一つの警告です。

慈悲を知らない正義は、その自身までも破壊するということ。

4. ファンティーヌとコゼット — 貧しい女性と子どもの受難

レ・ミゼラブルは、男たちだけの物語ではありません。

この小説で最も胸を打つ部分は、ファンティーヌの物語です。

ファンティーヌの転落

ファンティーヌは、若く美しい労働者の女性でした。

彼女は一人の男に捨てられ、独りで子どもを産みます。

その子がコゼットです。

未婚の母であることが知られれば職を失うと分かっていたため、ファンティーヌはコゼットを宿屋の一家に預けます。

そして娘の養育費を稼ぐために必死に働きます。

しかし、世間は彼女をそのままにしておきません。

秘密が露見し、工場から追い出されます。

彼女は髪を売り、歯を抜いて売り、ついには体まで売ります。

一人の母が子どものために自分のすべてを一つずつ売り払っていく過程を、ユゴーは冷ややかなほど淡々と描きます。

社会が生んだ悲劇

ここでユゴーが言いたいことは明白です。

ファンティーヌは、怠惰や不道徳のゆえに没落したのではありません。

彼女を破滅させたのは、貧しい女性に何の慈悲もなかった社会そのものです。

ファンティーヌは病に倒れて死んでいきながら、娘に会うことができません。

ヴァルジャンはファンティーヌに、コゼットを必ず見つけ出すと約束します。

コゼットの救済

コゼットは、宿屋のテナルディエ夫妻のもとで虐待されながら育ちます。

寒い夜に水を汲みに行かされ、ぼろ布のようにこき使われます。

ヴァルジャンは、この子をその地獄から救い出します。

そして、死んだファンティーヌに代わって、コゼットを娘のように育てます。

貧しい母が守れなかった子を、慈悲を学んだ一人の男が守り抜きます。

5. 1832年の六月暴動 — しばしば誤解される歴史

レ・ミゼラブルについて、最もよくある誤解が一つあります。

多くの人が、この小説の舞台を1789年のフランス革命だと思っています。

これは事実ではありません。

二つの出来事を区別する

1789年のフランス革命は、王政を打ち倒した巨大な出来事です。

バスティーユ襲撃、ルイ16世の処刑、恐怖政治が、その流れに属します。

レ・ミゼラブルのクライマックスであるバリケードの場面は、それより40年あまり後のことです。

それは、1832年6月にパリで起こった六月暴動です。

この暴動ははるかに小規模で、数日のうちに鎮圧されました。

六月暴動の背景

当時のフランスは、大革命の後も、幾度となく王政と共和政のあいだを行き来していました。

1830年の七月革命でルイ・フィリップが王となりましたが、貧しい人々の暮らしは良くなりませんでした。

コレラが広がり、尊敬されていた共和派の指導者ラマルク将軍が世を去りました。

彼の葬儀をきっかけに、共和主義の学生や労働者たちが蜂起しました。

彼らはパリの街路にバリケードを築きました。

しかし、幅広い民衆の支持を得ることはできませんでした。

暴動は政府軍によって、素早く、そして残酷に鎮圧されました。

小説の中のバリケード

ユゴーは、この短く失敗した暴動を小説の頂点に据えました。

若い大学生マリウス、街の少年ガヴローシュ、そして幾人もの若者たちがバリケードで戦います。

ガヴローシュが銃弾のなかで歌いながら死ぬ場面は、とりわけ有名です。

この暴動は勝利しません。

しかしユゴーは、その失敗した抵抗のなかに希望の種を見ます。

正義を求める人間の願いは、一度の敗北で消えはしないということです。

6. 慈悲と救済、そして社会正義

レ・ミゼラブルの核心には、三つの言葉があります。

慈悲、救済、そして社会正義です。

慈悲の連鎖

この小説は、慈悲がいかに人から人へと受け継がれていくかを示します。

司教はヴァルジャンに慈悲を施します。

ヴァルジャンはその慈悲を、ファンティーヌとコゼットに返します。

そして、ジャベールにまで慈悲を差し伸べます。

慈悲は波紋のように広がっていきます。

一人の人間の無条件の親切が、いくつもの人生を変えていきます。

救済の可能性

ユゴーは、人間は変わりうると固く信じていました。

前科者だったヴァルジャンは、聖人に近い存在へと変貌します。

これは宗教的な救済であると同時に、人間的な救済です。

過去が人を永遠に規定するわけではない、という信念です。

この点で、ユゴーはジャベールとは正反対の側に立ちます。

社会への告発

ユゴーは、個人の道徳だけを語ったのではありません。

彼は社会の構造そのものを告発します。

小説の序文で、彼はこう述べています。

法と慣習が生み出す社会的な呪いが存在するかぎり、この種の書物は無用ではないだろう、と。

貧困、女性の没落、子どもたちの放置は、個人の過ちではなく社会の失敗だというのです。

レ・ミゼラブルは、それゆえ小説であると同時に、一つの宣言でもあります。

7. ユゴーの脱線と、パノラマ的な小説

レ・ミゼラブルを初めて読む人が驚くことがあります。

物語が佳境に入ったところで突然止まり、ユゴーが長い脱線を繰り広げるのです。

ワーテルローとパリの下水道

最も有名な脱線は、ワーテルローの戦いに関するものです。

ユゴーは、この1815年の戦いを数十ページにわたって描写します。

この脱線は、一人の人物を物語の大きな流れに結びつけるためのものでもあります。

もう一つの有名な脱線は、パリの下水道に関するものです。

ヴァルジャンが負傷したマリウスを背負って下水道をさまよう場面に先立って、ユゴーはパリの地下世界の歴史を長々と説明します。

パノラマ的な小説の野心

これらの脱線は、単なる枝葉ではありません。

ユゴーは、ただ一人の人間の物語を書こうとしたのではありませんでした。

彼は一つの時代全体を、一つの社会全体を描こうとしました。

戦争、貧民街、下水道、修道院、隠語までも、すべて小説の中へ引き入れました。

そのため、レ・ミゼラブルはパノラマ的な小説と呼ばれます。

人間の物語と社会の肖像を、一つの巨大な画布に収めた作品です。

もちろん、現代の読者にとって、これらの脱線は忍耐を要します。

しかし、これらの脱線こそが、ユゴーが夢見た小説の規模を示しているのです。

8. ミュージカルと物語の世界的な広がり

レ・ミゼラブルは、本として終わりませんでした。

この物語は、一世紀半にわたって、絶えず新しい姿で生まれ変わってきました。

世界で最も愛されるミュージカル

最も大きな変化は、ミュージカルです。

フランスの作曲家クロード=ミシェル・シェーンベルクと作詞家アラン・ブーブリルが、この小説を舞台に移しました。

1980年にフランスで初めて上演され、1985年にロンドンで英語版が舞台にかけられました。

その後このミュージカルは、世界中で上演され、史上最も長く上演されたミュージカルの一つになりました。

「夢やぶれて (I Dreamed a Dream)」や「ワン・デイ・モア (One Day More)」といった曲は、ミュージカルを超えて広く知られるようになりました。

映画、そしてその先へ

2012年には、このミュージカルを原作とした映画が作られました。

俳優たちが現場で直接歌う方式で話題になりました。

このほかにも、レ・ミゼラブルは幾度も映画やドラマにされてきました。

一編の小説が、これほど長く、これほど広く愛される例はまれです。

一切れのパンと銀の燭台の物語は、言語と時代を超えて人々の心を動かします。

9. とても長い社会小説を、今日どう読むか

レ・ミゼラブルは、完訳本ではなんと1,200ページを超えます。

現代の読者にとって、これは決して手軽な分量ではありません。

では、この本をどう読むのがよいでしょうか。

バランスの取れた向き合い方

まず、脱線にあまり縛られなくても大丈夫です。

ワーテルローや下水道の部分が重く感じられるなら、流れをつかむ程度に読み進めてもかまいません。

物語の中心だけをたどっても、この小説の感動は十分に伝わります。

もちろん、時間が許すなら、脱線まで読んでみることをお勧めします。

その中に、ユゴーの世界観が最も濃く込められているからです。

よい翻訳を選ぶ

翻訳によって、読む体験は大きく変わります。

読みやすい現代的な翻訳を選べば、入り口の敷居はずっと低くなります。

日本語版はいくつもの出版社から出ているので、最初の数ページを比べて選ぶのがよいでしょう。

時代の隔たりを認める

この小説は、160年あまり前に書かれました。

当時の道徳観や宗教観は、今日とは異なることがあります。

ユゴーの感傷的な文体は、今の基準では過剰に感じられるかもしれません。

その隔たりをありのままに認めて読めば、かえって気楽になります。

大切なのは、この小説が投げかける問いが、今なお有効だという点です。

貧困、正義、慈悲についての問いは、時代を超えます。

二人の平行線

ジャン・ヴァルジャンとジャベールは、同じ世界を正反対に見ています。

二人の道を並べて見ると、小説の構造がはっきりします。

    ヴァルジャンの道                 ジャベールの道
  ┌──────────────────┐          ┌──────────────────┐
  │  パンを盗んだ罪人   │          │   監獄で生まれる    │
  │        │          │          │        │          │
  │   司教の慈悲       │          │   法への信念       │
  │        │          │          │        │          │
  │   救済と変化       │          │   曲がることなし    │
  │        │          │          │        │          │
  │  慈悲を返す        │─── 邂逅 ──│  慈悲を理解できない │
  │        │          │          │        │          │
  │   尊厳の回復       │          │   世界観の崩壊     │
  └──────────────────┘          └──────────────────┘
      慈悲の勝利                     正義の悲劇

この対比のなかで、ユゴーのメッセージがくっきりと浮かび上がります。

法だけでは、人間を救うことはできません。

おわりに — ふたたび、一切れのパン

私たちは、一人の男が一切れのパンを盗んだ物語から出発しました。

その小さな行いから始まった物語は、一つの時代全体へと広がっていきました。

レ・ミゼラブルが今日もなお読まれる理由は明白です。

それは、人間がどれほど低いところまで落ちうるかを示します。

同時に、人間がどれほど高いところまで昇りうるかも示します。

一切れのパンを盗んだ罪人は、結局、慈悲を知る聖人になります。

この変化の中心には、無条件の親切がありました。

ユゴーは私たちに問いかけます。

あなたは、倒れた人に銀の燭台を差し出すことができるか。

この問いの前で、レ・ミゼラブルは決して古びた物語ではありません。

貧しい人々、見捨てられた人々は、今も私たちのそばにいます。

彼らをどう扱うかという問いは、依然として私たち自身のものです。

考えるための問い

  1. ジャン・ヴァルジャンを獣から人に戻したのは、処罰ではなく慈悲でした。今日の私たちの社会の刑罰制度は、人を変えるのか、それとも烙印を押すだけなのか。

  2. ジャベールは腐敗していない正直な人でしたが、曲がることを知らない正義のために崩れ去りました。原則と慈悲のあいだで、私たちはどこに立つべきでしょうか。

  3. ファンティーヌの転落は、個人の過ちではなく社会の失敗でした。今もなお、貧しい女性や子どもたちを崖へと追い込む構造が存在するとすれば、それは何でしょうか。

  4. ユゴーは1832年の失敗した暴動に希望を見ました。失敗した抵抗にも意味があるとすれば、その意味はどこにあるのでしょうか。

参考資料