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ハムレット — 生きるべきか死ぬべきか、ためらいの悲劇

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はじめに — 城壁の上の亡霊

寒い夜、デンマークのエルシノア城の城壁の上に、亡き王の亡霊が現れます。

見張りに立っていた兵士たちは凍りつき、知らせはやがて若い王子ハムレットに届きます。

父の亡霊は、息子にただ一つのことを求めます。

自分を殺した者に復讐せよ、というのです。

ここまでを見れば、ハムレットはよくある復讐劇のように思えます。

しかし、この作品が四百年を超えて生き残った理由は、復讐がどう成し遂げられるかではなく、復讐がどう先延ばしにされていくかにあります。

ハムレットはすぐに剣を取りません。

彼は考え、疑い、問い返し、自分自身を責めます。

この文章は、シェイクスピアとその時代から始めます。

続いて、物語の骨組み、あの名高いためらいの謎、独白が生み出した内面の発明、本物と偽物が入り混じる狂気、劇中劇と見かけの問題、英語に残した言葉の痕跡、そして舞台とスクリーン上の膨大な後継たちを、順に見ていきます。

最後に、今日わたしたちがこの作品をどう読み、どう観ればよいかを、バランスよくまとめます。

あらかじめ断っておくと、この文章には結末を含む物語の全体が書かれています。

1. シェイクスピアと彼の劇場

ウィリアム・シェイクスピアは、一五六四年にイングランド中部のストラトフォード・アポン・エイヴォンで生まれました。

彼は俳優であり劇作家であり、同時に劇団の共同経営者でもありました。

この三つの役割をあわせ持っていたことは、彼の作品を理解するうえで重要です。

彼は机の上だけで書いた人ではなく、実際の舞台と観客をつねに念頭に置いた実務家でした。

エリザベス朝とジェームズ朝の舞台

ハムレットは、だいたい一六〇〇年ごろに書かれたと考えられています。

この時期は、エリザベス一世の治世の末期と、ジェームズ一世の治世の初期にまたがっています。

当時のロンドンの劇場は、今日の静かな屋内劇場とはずいぶん違っていました。

観客は身分に応じて立ったり座ったりして観劇し、俳優と大きな声でやり取りしました。

グローブ座

シェイクスピアの属した劇団は、はじめ宮内大臣一座と呼ばれ、ジェームズ一世の即位後には国王一座となりました。

この劇団が一五九九年に建てた野外の円形劇場が、グローブ座です。

屋根のないこの劇場では、昼間の自然光のもとで公演が行われました。

舞台装置が豪華ではなかったため、時間と場所を観客に伝える仕事は、多くが台詞の役目でした。

城壁の上が寒く暗いという事実さえ、照明ではなく俳優の言葉を通して観客に伝えられました。

復讐悲劇の伝統

ハムレットは、無から生まれた作品ではありません。

当時のイングランドの舞台では、復讐悲劇と呼ばれるジャンルが大きな人気を集めていました。

トマス・キッドのスペイン悲劇はその代表的な例で、無念の死とそれへの復讐、亡霊の登場、狂気のモチーフを含んでいました。

観客は、こうした物語の構造にすでに慣れ親しんでいました。

シェイクスピアはその馴染みのある枠組みを取り入れ、復讐を先延ばしにする主人公をその中心に据えることで、ジャンルそのものを作り変えました。

2. あらすじ — 亡霊、殺された王、復讐の要求

物語の舞台は、デンマークの王家です。

作品が始まる前に、すでに王は世を去っています。

亡き王の弟クローディアスが王位を継ぎ、義理の姉でありハムレットの母であるガートルードと、あわただしく結婚します。

王子ハムレットは、父の死と母の再婚を、深い悲しみと幻滅のうちに受けとめています。

亡霊の告白

そのとき城壁の上に現れた父の亡霊が、ハムレットに衝撃的な事実を告げます。

自分は自然に死んだのではなく、弟クローディアスに毒殺されたのだ、というのです。

亡霊は息子に、この殺害の報いを果たしてくれと求めます。

同時に、母は罰せず、天の裁きにゆだねよと言い添えます。

先延ばしにされる復讐

ハムレットは復讐を決意しますが、すぐには行動しません。

彼は、亡霊の言葉が本当に真実なのか、それとも自分を欺こうとする悪しき霊ではないのかと疑います。

確信を得るために、彼は狂気を装い、宮廷の人々の反応をうかがいます。

一方で、この彼の変化は、恋人オフィーリア、その父ポローニアス、そして王クローディアスのすべてを不安にさせます。

破局へ向かって

ハムレットは旅回りの役者たちを呼び、自分の父が殺された状況とよく似た場面を、芝居として上演させます。

この芝居を見ていたクローディアスが動揺して席を立つと、ハムレットは亡霊の言葉が真実であると確信します。

しかし、その後の出来事は手に負えないほど絡み合っていきます。

ハムレットは母と話している最中、垂れ幕の陰に隠れていたポローニアスをクローディアスと取り違えて刺し殺してしまいます。

父の死とハムレットの冷たさに打ちのめされたオフィーリアは、正気を失い、ついには水に落ちて世を去ります。

ポローニアスの息子レアティーズは、父と妹の復讐のために戻ってきます。

クローディアスはレアティーズを利用し、毒を塗った剣と毒の入った杯でハムレットを亡き者にしようと策略をめぐらせます。

最後の決闘の場面で、ガートルードは息子の代わりに毒の杯を飲み、レアティーズとハムレットは毒の付いた剣で互いに傷を負います。

死にゆくなかで、ハムレットはついにクローディアスを刺し、父のための復讐を成し遂げます。

舞台の上には王家の亡骸が幾重にも残り、ノルウェーの王子フォーティンブラスが登場して、物語は幕を閉じます。

3. ハムレットのためらい — この作品の中心の謎

ハムレットをめぐる最も古い問いは、単純なものです。

彼はなぜ、すぐに復讐しないのか。

劇のなかで彼はクローディアスを殺す機会を何度も得ますが、そのたびに行動を先延ばしにします。

このためらいは作品の欠点ではなく、むしろその核心です。

何百年にもわたって、批評家や俳優たちはそれぞれ異なる答えを差し出してきました。

道徳と信仰の問題という解釈

一つの解釈は、ハムレットが殺人という行為そのものを恐れている、と見ます。

彼は亡霊の命令と自分の良心のあいだで引き裂かれています。

祈るクローディアスを殺そうとして立ち止まる場面では、いま殺せば相手が天国に行くかもしれないという神学的な計算のためだと、彼自身が語ります。

この計算が本心なのか、それとももう一つの口実なのかは、いまなお議論の的です。

考えすぎという解釈

もう一つの解釈は、ハムレットを考えすぎる人物として見ます。

彼はすべてを最後まで突きつめようとし、そのあいだに行動の瞬間が過ぎ去ってしまいます。

十九世紀のロマン主義の批評家たちは、とりわけこの見方を好みました。

彼らはハムレットを、意志が思索に押しつぶされた人物、すなわち思考の重みに麻痺した知性の人として描きました。

心理的な解釈

二十世紀には、このためらいを心理学の言葉で説明しようとする試みが現れました。

精神分析の観点から、ハムレットの逡巡を母との関係や抑圧された感情と結びつける読み方が広まりました。

こうした解釈は、唯一の正解というより、この作品がいかに多様な読みを許すかを示す一例です。

正解がないことの意味

大切なのは、どれか一つが唯一の正解ではない、という事実です。

シェイクスピアは、ハムレットの心の内を完全には説明してくれません。

まさにその余白があるからこそ、世代ごとに新しい俳優と読者が、自分だけのハムレットを見いだすことができます。

4. 独白と内面の発明

ハムレットが特別である理由の一つは、独白です。

独白とは、舞台の上の人物が一人になり、まるで自分自身に語りかけるように内心を打ち明ける台詞です。

観客はこの瞬間、人物の頭のなかを直接のぞき込むような感覚を覚えます。

生きるべきか死ぬべきか

最も有名な独白は、存在と非存在を天秤にかける場面です。

英語の原文の冒頭の一句は広く知られており、日本語では生きるべきか死ぬべきかと訳されることが多くあります。

この独白でハムレットは、このまま生き続けるべきか、それとも人生の苦しみを終わらせるべきかを、静かに天秤にかけます。

彼は死を眠りにたとえ、その眠りのなかにどんな夢が訪れるかわからないからこそ、人は人生に耐えるのだと語ります。

この台詞は、特定の人物の事情を超えて、人間であれば誰もが向き合う問いに触れています。

内面という新しい舞台

シェイクスピア以前にも、独白はありました。

しかしハムレットの独白は、単なる情報の伝達や計画の説明を超えています。

それは、思考が実際に動き、揺れ、自分自身に反論していく過程を見せます。

このため多くの人は、ハムレットを近代的な自我、すなわち自分自身を観察し疑う個人の出発点とみなします。

内面が一つの舞台となる瞬間に、文学は新しい深さを得ました。

5. 本物と偽物の狂気 — ハムレットとオフィーリア

狂気は、この作品を貫くもう一本の糸です。

興味深いことに、シェイクスピアは二つの種類の狂気を並べて見せます。

ハムレットの装われた狂気

ハムレットは、自ら狂気を装うことを決めます。

彼はこの偽装を通して宮廷の監視を避け、人々の本心を探ろうとします。

彼の言葉はしばしばつじつまが合わないように見えますが、そのなかには鋭い風刺と真実が隠れています。

ある登場人物は、彼の狂気には筋が通っていると言い、これは彼の狂気が完全な混乱ではないことをほのめかします。

ただし、演技と現実の境目がどのあたりにあるのかは、はっきりしません。

激しい悲しみと怒りのなかで、ハムレットが本当にいくらか崩れかけているのではないかと、観客は問い続けることになります。

オフィーリアの本物の狂気

オフィーリアの場合は違います。

彼女は、愛する人に見捨てられたような立場に置かれ、そのうえ父ポローニアスがまさにその人の手にかかって死ぬという衝撃を受けます。

周りの男たちはみな、彼女に何をせよと指図するばかりで、彼女の声には耳を傾けません。

この幾重もの喪失のなかで、オフィーリアの精神は実際に崩れていきます。

彼女は歌を口ずさみ、花を配って歩き、ついには水辺で命を落とします。

二人の人物の狂気を並べて置くと、装われた狂気と本物の狂気が互いを映し出し、この作品の悲しみをいっそう深くします。

6. 劇中劇と、見かけ対真実

ハムレットは、表に見えるものと実際とが異なる世界です。

クローディアスは慈悲深い王を演じますが、実は兄を殺した者です。

ハムレットは狂った者を演じますが、実は誰よりもはっきりと状況を把握しています。

宮廷は礼儀と友情の言葉に満ちていますが、その裏には監視と裏切りが流れています。

ねずみ取りという芝居

この見かけと真実の問題は、劇中劇の場面で頂点に達します。

ハムレットは旅回りの役者たちに一つの芝居を上演させ、これにねずみ取りという呼び名をつけます。

この芝居は、兄弟を毒殺してその妻を手に入れる物語であり、クローディアスの犯行とほとんど同じ構造を持っています。

ハムレットの意図は明らかです。

舞台の上の場面を見つめるクローディアスの表情から、罪の証拠を読み取ろうとするのです。

芝居で真実をつかむ

計画は成功します。

殺害の場面が再現される瞬間、クローディアスは動揺し、立ち上がって出て行ってしまいます。

ハムレットはこの反応を、亡霊の言葉が真実であるという証拠として受けとめます。

ここで興味深い逆説が生まれます。

偽物である芝居が、かえって本物の罪を暴く道具になるのです。

シェイクスピアは劇場のなかで劇場を語り、芸術がどのように真実を映し出すかを、自ら省みています。

7. シェイクスピアの言葉と、英語に残した痕跡

ハムレットを語るとき、言葉を抜きにはできません。

シェイクスピアの台詞の多くは、無韻詩と呼ばれる韻律で書かれています。

無韻詩は、行末で韻を踏まないながらも、一定の強弱のリズムを持つ詩の形式です。

このリズムは自然な話し方に近い一方で、散文よりも一段高い格調を与えます。

日常になった表現

シェイクスピアは、新しい表現を生み出したり、広く広めたりしたことで有名です。

今日の英語圏の人々が何気なく使う多くの慣用句が、ハムレットをはじめとする彼の作品に由来すると考えられています。

もちろん、彼がすべての言葉を一人で発明したわけではありません。

しかし、彼の劇があまりに広く読まれ上演されたために、多くの言い回しが日常の言葉のなかへ染み込んでいきました。

一人の劇作家が、一つの言語の語彙と表現にこれほどの跡を残した例は、めったにありません。

翻訳のなかのハムレット

日本語や韓国語のように英語と構造の異なる言語に移すとき、この韻律をそのまま生かすのは難しいことです。

翻訳者は、リズムをあきらめて意味を生かすか、それとも別のやり方で詩的な響きを作るかを、つねに選ばなければなりません。

そのため、同じ台詞でも訳によって印象がずいぶん異なります。

いくつかの翻訳を並べて読んでみることも、この作品を楽しむ一つの方法です。

8. 舞台とスクリーン上の膨大な後継

ハムレットは、おそらく世界で最も頻繁に上演される戯曲でしょう。

四百年を超える時間のあいだに、数えきれない俳優がこの役に挑んできました。

ハムレットを演じることは、長らく俳優にとって一つの試金石とみなされてきました。

舞台の上のさまざまなハムレット

時代ごとに、舞台の上のハムレットは異なっていました。

ある時代は優雅で思索的な王子を好み、また別の時代は怒りと不安に満ちた若者を描きました。

俳優の年齢、演出の解釈、時代の雰囲気によって、同じ台詞がまったく違って聞こえます。

女性の俳優がハムレットを演じた例も、古くからありました。

スクリーンのなかのハムレット

二十世紀以降、ハムレットは映画にも幾度となく移されてきました。

白黒の古典的な映画から、宮廷を現代の都市に移した翻案、原作の全体を生かした長編まで、その取り組み方はさまざまです。

こうした映像作品は、舞台に足を運びにくい観客にとって、よい入り口になってくれます。

語り直される物語

ハムレットの影響は、直接の上演にとどまりません。

この物語の骨組み、すなわちためらう復讐者と、表と裏の異なる宮廷という構図は、その後の数多くの小説や映画やドラマに染み込んでいきました。

脇役の視点から物語を語り直す作品もあれば、この悲劇を意外にも明るい物語として読み替えた例もあります。

一編の戯曲がこれほど多くの後継を生んだという事実そのものが、この作品の力を証明しています。

9. 今日ハムレットを読む、あるいは観る方法

ハムレットは、四百年前の言葉で書かれた長い戯曲です。

初めて触れる人にとって気後れするものになりうることは、正直に認めるべきでしょう。

しかし、いくつかの方法を知れば、ぐっと身近に感じられます。

気負わずに始める

まず、すべての台詞を完璧に理解しようと力む必要はありません。

シェイクスピアの言葉には、母語話者にとってもなじみのない古い言い回しが多くあります。

大きな筋を追いながら感情の流れを感じるだけでも、じゅうぶんな出発点になります。

注釈の付いた版や現代語の対訳は、この過程を大きく助けてくれます。

読むより観る

次に、戯曲はもともと読むためではなく、上演されるために書かれました。

できれば、よい公演や映画をまず観ることが、理解の助けになります。

俳優の声と身ぶりを通して聞くと、紙の上では難しかった台詞が急に生き生きとしてきます。

バランスのとれた視線

さらに、この作品を完璧な傑作としてのみ崇める必要はありません。

ある場面は、今日の基準で見ると長く、あるいは奇妙に感じられることがあります。

女性の人物の置かれた立場のように、時代の限界をあらわにする箇所もあります。

そうした部分まで含めてバランスよく眺めるとき、この作品は博物館の遺物ではなく、生きた対話の相手になります。

下の図は、この悲劇を動かす復讐の網を簡単に整理したものです。

                   亡き先王(亡霊)
                  「復讐せよ」と要求
   クローディアス ◀──復讐の対象──  ハムレット
 (先王を毒殺し、                     │
  王位と王妃を                       │ (取り違えて殺害)
  手に入れる)                        ▼
      │                        ポローニアス
      │                       /          \
  (レアティーズを      オフィーリア        レアティーズ
   使って反撃)        (見捨てられ、       (父と妹の復讐の
      │               狂って死ぬ)          ために帰還)
      └────────────────────┴──────────────┘
                     破局の決闘

おわりに — 残るのは沈黙

ハムレットは復讐劇の衣をまとっていますが、その内側にははるかに大きな問いが込められています。

わたしたちは、何を根拠に行動すべきなのか。

確信がないとき、進み出ることは勇気なのか、それとも無謀なのか。

死を前にして、生はどんな意味を持つのか。

ハムレットは、これらの問いにきれいな答えを与えてくれません。

彼はためらい、そのためらいのなかで多くを失います。

しかし、まさにその不完全さゆえに、彼はわたしたちに似ています。

死にゆくハムレットの最後の言葉は、そのあとに来るのは沈黙だ、というものです。

その沈黙の向こうで、四百年を超えて、観客はそれぞれのやり方でこの王子を呼び戻し続けてきました。

もしかすると、それがこの悲劇がついに勝った方法なのかもしれません。

考えるための問い

  1. ハムレットのためらいを、あなたはどう理解しますか。慎重さですか、弱さですか、それともその中間の何かですか。

  2. 確信のない状態で重大な行動を先延ばしにすることが、正しい選択であるときはありますか。あるとすれば、どんな場合ですか。

  3. ハムレットの装われた狂気とオフィーリアの本物の狂気を比べるとき、二人の置かれた状況の違いは何を語っていますか。

  4. 見かけと真実が食い違う物語の構造は、今日の物語のなかにもよく見られます。あなたが思い浮かべられる例は何ですか。

参考資料